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建築について
良い建物
青空や初夏の若葉は無条件に美しいと思う。
建物の美しさも、太陽の光や窓外に育つ木々が織りなす変化という移ろいゆく自然を切り取ることから生まれるだろう。そして同時にそれは老いてゆく父や母やつれあい、かわいかった、やがてたくましく美しく育ってゆく子供達とともに生きる時間を切り取り、人の記憶に刻まれる。切り取る道具は当たり前の柱や壁や床でかまわないのだ。それは人に誇るものでもない。願いは叶えられずその身は朽ち果ててゆくときも、脳裏に蘇る良き思い出としての建物でありたい。

良き建物とは何かと問うとき、良き人とはどういう人かという問いと同義にとなる。良き住宅とは良き夫や妻、良き病院とは良き医師や看護師と同じ性格のものであろう。良き人とは何かという問いに答えるには長い時間がかかる。しかし、それでもこの意味づけは建物についての解釈に何らかの道を与えるだろう。
自由とこだわり
ものの形やあり方にこだわることでしか、人と密接な関係を保つものはできない。しかし、こだわりは不自由である。常に自由でありたい。価値判断の中で、こだわりのあったものを涙ながらに捨て去るとき、思いもかけない自由が生まれる。そのとき、こだわりはしがらみであったことがわかる。しかしそれはものにこだわる中でしかわからない。プランニングも人も同じ。
作らない工夫
ミニマルなデザインを好む故に切り捨てるのではない。事態の変化は想像もつかない。つくりこんだものがいつしか使えなくなったときのことを考えて、できるなら、窓と出入り口と必要なものを適切にレイアウトできる空間が理想と思う。
「そうなんだ、あってもなくても良いものはないほうが良いんだ」(相田みつお《←記憶違いならごめんなさい》
「そうなんだ、あったほうが良いものはあったほうが良いんだ」(転向ミニマリスト
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